2015年1月26日月曜日

メルセデスが醸す高級車オーラの本質

  マツダがアウディやBMWのようなブランドを目指して、ブランド内の「デザインコンセプト」を定めたイメージ改革を進めています。マツダの狙い通りに現在でも多くの市場で販売は好調に推移しているので、戦略としてはかなり上手くいっているようです。マツダが目指す所はどこなのか定かではありませんが、しかしその目指す先だと一般にいわれているドイツ車、その中の老舗中のp老舗・名門メルセデスはというと「デザインコンセプト?そんなものはもうどうでもいいよ・・・」と言わんばかりの、自由なデザインを展開するようになっています。

  確かに現行のSクラスとCクラスはどこか似ていますし、この後にフルモデルチェンジを迎えるEクラスもこの2台と同じようなデザインになることでしょう。そしてAクラスから派生した一連のFF車もプライベートブランドとは一見思えないようなフロントググリルのパーツの使い回しが目立ちます。しかしメルセデス本来のステータスを存分に持った花形グレードのクルマであるSクーペ・SLGTといったラグジュアリーなモデルはより自由でかつブランド内でも格別の存在感を持つオリジナリティ溢れるデザインに仕上がっていて、アウディやBMWではなかなか見られないメルセデス特有の重厚感がそこにはあります。

  メルセデスのそれらのモデルのデザインは、簡単に言ってしまえば「大人の男」のクルマへの憧れをそのままデザイン化したものです。その作り込み具合は高いといえば高いし、低いといえば低いし人によっていろいろな判断基準がありますが、この手のクルマを求めるユーザーのイメージをかなりの段階まで具現化させていて、量販車ブランドの中ではその「完成度の高さ」には確実に価値があります。例えばメルセデスSLと同じような「エモーション」を追求したクルマとしては、フェラーリ・カルフォルニアやマセラティ・グランカブリオといったクルマがあります。どちらもブランド内では走行性能よりもラグジュアリーに重きを置いているモデルです。マセラティといえばラグジュアリーの権威的なブランドですが、近年ではややフォーマルなセダン(ギブリ)やさらにSUVで販売台数の大幅な拡大を狙っています。そんな拡販戦略とは無関係な立場にグランカブリオというクルマはあります。余談ですが都内を走っていてもこのクルマは極めてレアなのでなかなか所有欲をそそります。

  そんなグランカブリオとは違って、明治通りを走れば必ず1台は見かける頻度で出てくるのがメルセデスSLです。ポルシェ911と並んで、自他共に認める筋金入りのナルシスト系が乗る「超定番モデル」といっていいくらいで、大都会・東京で最も愛されているクルマかもしれません。東京はナルシストが好きなものがたくさんある街ですから、そんな風景を大いに盛り上げるのがポルシェ911だったりメルセデスSLだったりで、土日になればフェラーリもランボルギーニもマクラーレンも何台も見かけます。それはそれでとても辻褄が合っています。東京の夜景が見渡せるタワーマンションとその地下駐車場にメルセデスSLが、東京人のかなりリアリティのある日常です。

  こんなこと書くと怒られちゃいそうですが、タワーマンションのショールームにやってくる人々を観察していると結構面白いです。やっぱりこういうものに憧れて東京にやってくるんだろうな・・・(別にバカにしてないですよ)。六本木、赤坂、丸の内、表参道にある商業施設に行くと、やたらとたくさんの駐車場管理係の人がいます。高齢者ドライバーにとって機械式の駐車場はかなり不親切ですから、安全な運営のためにも必要なのかもしれませんが、人がたくさんいて、間隔も広くてドアパンチを喰らう心配が無いとても高級感ある駐車場が「東京らしい」駐車場と言えるのかもしれません。新宿にある都庁も駐車場料金は人が配置されていて手渡しになっています(税金のムダ?)

  メルセデスSLは車重がかなり嵩む超ヘビー級のオープンクーペですから、走りを楽しむ人からしてみたら価格に見合わない難物です。もし日本メーカーが真似をして同じようなモデルをつくったら、スーパーカー大好きな評論家連中によって、あれこれ好き勝手なことを言われてしまいそうです。しかし彼らは内心では納得していなくても、メルセデスSLに対して厳しい意見を言う事はまずありません。日本の評論家を黙らせるだけの風格がメルセデス(SL)、マセラティ(グランカブリオ)、フェラーリ(カリフォルニア)には備わっています。世界中に愛好家(好事家)を持つこの3つのブランドはそれぞれの「エゴ」を21世紀になっても尚、商売として成立させています。そういう夢のある商売に対する暗黙の敬意ということなのでしょう。

  中にはフェラーリだろうがメルセデスだろうが容赦なく牙を剥く評論家もおられます。たくさんの評論家が溢れる中で生き残るためという意図も多少はあるでしょうが、やはりこれこそが自動車評論の本来の姿なのだという強い自負(信念)が根底にあると思います。そのクルマが売れていて(多くの人が満足していて)、それでもダメだよ!という敵をたくさん作るタイプの評論には勇気とエネルギーが相当要ることでしょう。けどそんな生真面目な評論家の意見など馬耳東風のごとく、そもそも東京に生きるVIPな人々は、自動車専門誌をじっくり読む暇なんてないですから、「沢村慎太朗って誰だ?」と何も臆することなく、自分の感性にかなり合っているメルセデスSLを好むようです。

  メルセデスの中長期的な変化は、今後さらに顕著になっていくように思います。マイバッハを廃止して、その顧客の受け入れ先としてメルセデスブランドの内部に「マイバッハ」と命名されたモデルを新たに投入するようです。これまではマイバッハの下に位置づけられていたメルセデスを最上級のブランドとし、その中で上限を取り払ったラグジュアリーなモデルをも同ブランド内で手掛けていく戦略が既定路線です。ポルシェとベントレーを合わせたようなブランドへとイメージを作り上げつつ、アウディのような小型モデルを量販してさらなる利益を出していく戦略自体は、レクサスやインフィニティでも急速に模索されているようですが、メルセデスが現在のところは最先端を走っているようです。

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